ハレからケへ、ケからハレへ
本サイトの記事は「ローエントロピーな暮らし」がテーマ。
ここでいう「ロー(低い)エントロピー」とは、
「熱(エネルギー )の拡散(無駄)がないような暮らし」と
置き換えて読んでいただけたらと思います。
エネルギーの無駄をなるべく減らし、太陽の光から生まれるあらゆる恵みを意識して
自然な暮らしを実践しようという日々の記録です。
ふだんは意識しないけれど、1年には5つの節句がある。
1月7日(人日・じんじつ)、3月3日(上巳・じょうし)、5月5日(端午)、
7月7日(七夕・しちせき)そして9月9日(重用・ちょうよう)。
じゃあ1月1日は五節句ではないのか?
そう、元旦は別格。お正月はもっと尊いのだ。
そのおめでたさが理解できるまで、 実に30数年の歳月を要するとは!
お正月を楽しむ方法は「参加」の文字に尽きるのだ、と思う。
私が住むのは日本家屋だからお正月準備も時間がかかる。
10月にこの地域一帯で行われる秋祭りの声を聞いたら「お正月が近いよ」の合図。
11月下旬には我が家では、薪ストーブの火入れがはじまる。
温めた部屋に冷たい空気を入れたくないから、それまでにキッチンとリビングの窓を開け放ち、
天井や柱のすす払いをはじめる。
気持ちよくなった、とうっかりしていられない。
ここからが(時と自分と天候との)勝負のはじまり、はじまり。
ここ2年ほど温暖化で12月も暖かい日が多いけれど、
うっかり油断するとある日海の方から冷たい風がばんばん吹き付けるようになる。
我が家のお隣は田んぼ。風を遮るものが何もない。
時に暴力的なまでの風の中、外に出るのは非常に勇気がいるもの。
そうなる前に、窓拭きに着手する必要があるのです。
家は南側の座敷から反対側までぐるりと縁側に囲まれているから、
一般の日本家屋と比べても窓の面積は数倍あるはず。
窓拭きは年末の数日で終わらせようと思うと苦行なので、11月から12月初旬ののお天気の良い日に小分けにしてはじめる。
さらに油断ならないのが、庭木の剪定。
この家に住むようになってはじめてやってみた庭木の剪定は私の仕事で、前庭、中庭、坪庭と3つあるから庭木の数も相当のもの。
12月の中旬までにはこれらを終わらせておくのが理想のスケジュール(できない年もありつつ…)。
さて、お正月準備の中でもなくてはならないのがお花。
毎年11月になると必ず「今年はおもりにしますか?お生花にしますか?」と
生け花の先生が尋ねてくださる。
おもり、とは盛花のこと。
松、梅の古木とその年伸びた緑色の若芽、千両、菊、葉牡丹などを剣山に刺すか、
花器に投げ入れる。一方「お生花」は、寸胴と呼ばれる竹製の筒に、またぎと(Y文字をした竹)をはめ、その中に決められた長さの花材を挿していくもの。
お正月はたいてい「若松の七五三生け」と決まっていて、まっすぐに伸びた7本の若松を生ける。
最後に根元を金銀の水引できゅっと相生結びにして、完成。
冬でも針の先まで青々とみずみずしい松は、やっぱりお正月にふさわしい。
床の間に飾った鏡餅は毎年和歌山に住む叔父が年末について運んでくれるのもの。
この、つきたての白くてまるいお餅とともに届くのが大量の千両。
「ほとんど野生化してるけど」と言いながら渡された新聞紙から、
千両の赤い実がそっと顔をのぞかせる。
「待ってました」と心が叫ぶ。この千両をなるべく無駄なく生けることが、
毎年最後の花仕事なのだから。
元旦はやっぱり新しい季節のはじまりで、お正月があけると少しずつ光が伸びてくるのを感じる。
三が日が過ぎて松の内が明けると、床の間の松も玄関のお正月飾りも外してしまおう。
「ハレ」はお終いなのだ。
けれど「ケ」の中にも、逃れようがないくらい光が差し込んでくるのを感じる。
気が早い私はもう春だと浮かれている。 その光こそが春なのだと、
この家に住んで初めて知った。これから北半球が確実に夏に向かっていく。
日焼けが怖いから、もう少し鈍色の冬空とやわらかい春の光を楽しんでいよう。