庭仕事


我が家には3つの庭(前庭・中庭・坪庭)がある。家が日本家屋だから、当然庭もそれに添って日本庭園。この家に越したばかりの頃、3つの庭はどれも積年の落ち葉が30cm近く積もる荒れ果てた姿だった。来る日も来る日も落ち葉をとり、雑草をとりしていたら2年ほどしたある日、ぽっかりと光が差したように苔が生えてきた。

住み始めて7年目のいまは、京都の立派なお庭などとは比べものにならないけど、何とかお庭の7割が苔で覆われている。冬の間は特に日光がささないから、苔も青々としている。夏だとこうはいかない。

北風は思いっきり頬をさらっていくけれど、冬の庭は凛としていて大好きだ。

先日とある取材で庭師さんにお話を伺う機会があった。京都は南禅寺の近くにある無鄰菴へ。ここは山縣有朋の別邸。庭は小川治兵衛の作で、中央には琵琶湖疎水からひいた水が流れる小川があり、東山を借景とする開放的なお庭。造園当初から芝生が植わっていて(いまは自然と生えた苔も多いですが)近代庭園の傑作といわれているそうな。

枯山水や有名な庭園とちょっと違うのは、野草も野花もなるべく生かそうとすること。というのも、山縣有朋はお庭にも独自の美意識をもっていたらしく野花をたいそう愛したそうで、いまでもその意を汲んだ庭園の管理がなされているのだとか。 庭師の繊細な仕事を記録したビデオが洋館の1階で放映されていた。

庭を流れる小川の掃除をするベテラン庭師が言った。

「川の掃除はわざと履き残すんです。そこにカワニナがいるかもしれないからね」。

カワニナとはホタルの幼虫の餌になる淡水に住む巻貝。いるか、いないかもわからないカワニナがひっそりと暮らせるように、こちらが配慮するというわけ。

なんて懐が広いんだろう。それはこれから生まれてくる未来の命を摘んでしまわない在り方。

日本では庭園は古くから極楽浄土を表していた。遠くイスラムでは「コーラン」の中で、

選ばれたものに約束された来世の庭園についての記述があるのだという。これはすなわち壁で囲われた緑豊かな庭のことで、パラダイスの語源になっているのだとか。楽園が緑の園だとしたら、日本はパラダイスだらけ。特に、お庭。

我が家の庭も素人が気まぐれに手入れしているだけの庭だけど、よく見ているとナンテンやマンリョウの小さな芽が知らない間に育っている。

鳥がついばんだものか、自然と落ちたものか。冷たい空気の中、冬の風に飛ばされたツワブキの綿毛も、うまく着地したようで、落ち葉をかきわけると小さな丸い双葉が顔をだしている。​

緑は緑を育んで命はループしていく。緑を育むことは地球のエントロピーを下げることにつながる。そんなに世界を旅したわけではないけれど、見たこともない景色を見たいという欲望はすっかり消えて、いまは手の内にある景色を深めていくことが旅みたいなもの。

立春が近い。庭にも光が溢れている。紫外線が気になるから、太陽を避けるべき時期にさしかかりつつある。

(写真 衣笠名津美 )

追伸:ところでプロの庭師は使う道具も違うもので。この取材では竹の柄がついていない手箒なるものを発見し、さっそく通販でゲットしました。マキの下を履くときいつも柄が木にぶつかって掃いたそばから葉っぱが落ちてきたりするのだけど、これさえあれば岩と岩の間も楽ちん。

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